他人を道具として活用する人には幸せは訪れない

ベクトルを自分自身に向けて

親は、子どもが「○○が勉強したい」「将来は○○になりたい」などと言い出したときに、その内容に関心がなかったり、いいイメージが持てないからといって、頭ごなしに否定や禁止をしないことが大切ですよね。個人の個性や才能を伸ばすには、当然ながら周囲からの冷静な見極めが大切ですし、本人の意志や意欲も尊重しなければなりませんよね。しかし、自分の娘の話を聞くなり、きちんと適性を見るなりして、「この子がこの道に進みたいと言うのだから、それを応援しサポートしよう」と素直に思える母親は少数だと思わざるをえません。安定した人生がいちばんと思っている母親なら、医者、弁護士、公務員、大手企業の社員など、社会的ステータスが高い職種に進むよう言って聞かせ、勉強に追い立てるかもしれません。そして「自分はなんのためにこんなことをしているのか」「自分がやりたかったのは、こんなことではない」「やりたいことをやらせてほしい」と、強く反発する気持ちが出てきてしまうんですよね。そうでなければ、燃え尽きたように無気力になり、すべてに意欲を失ってしまうかもしれませんからね。男性との出会いを全く探さない、出会いを求める意欲がない女性にこのようなタイプが多かったりするわけですね。
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これは生理反応によくないというのと同じです。しかし、あなたの行動はすべて全行動であるので、人生を効果的にコントロールできなくなると、行為と思考から感情や生理反応を分離することはできない。この場合、医師の見地からは、変化した生理反応のもっとも明快な結果が、動脈硬化なのだ。生理反応は、映画制作のためにその人が選択している効果のないすべての行動の一部である。ここで説明したことに従って考えれば、心臓疾患は、あぶらつこい食事、喫煙、運動不足を選択していることの結果である。医師は薬を持っているし、外科手術も有効であるが、不健康な食生活や煙草をやめ、座りがちの生活を変えるかどうかはあなたの選択しだいである。 Read the rest of this entry »

幸福で、何の問題もないふりはできても、健康であるふりはできないのです。自分の生理反応に対してはその種類のコントロールはできない。落ち込みを選択しているときに、脳の化学物質が、感情の原因ではない。行為、思考、感情が相互に関わって、落ち込みと呼ばれる全行動を構成しているのであって反応はその状況における正常さで機能している。現在、落ち込みは脳内部の化学物質のアンバランスが原因だという説明が受け入れられている。しかし今までに述べた理由で、これは誤りだと感じているのです。ある人が奥さんが出ていくという冷蔵庫のメモを見つけたときに、彼の脳内化学物質が直ちに変化したことは確実である。同様に彼の感情、行為、思考も変わった。選択理論を知っていたら、何かできたかもしれない。しかし、落ち込みを選択することにより、妻を追いかけて連れ戻す衝動に打ち勝つことができた。妻と対決し、暴力沙汰にでもなっていたら、状況はもっと悪くなったであろう。世界中の何百万人もの人が落ち込みを選択する理由は、重要な人間関係が自分の思いどおりにならないからですね。でもこのような色んな事例をじっくり観察して、問題点を生活に把握できていれば、いざ自分自身の人間関係が困難に陥ったとしても、落ち込みを選択せずとも乗り切れる方法というものはきっと見つかると思います。もちろん日常生活における密な関係性の構築が最も大切なわけですが。今までの人生で出会った多くの人たちとの関係をもっともっと良い方向へ変えていきたいです。
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自発的セレクション理論が、頻繁に起こり、致命的になりかねない病気をどう説明できるか。医師との協力で、あるいは医師の力の及ばないところで、いかに自分に役立てるかを説明しよう。男性によくある病気について見てみよう。冠状動脈障害、あるいは動脈硬化症。映画制作に従事していてヒットまちがいなしと確信して、夢中になって資金を集めようとしている。お金を得るために何でもしている。しかし、資金は底をつき始めている。気分は良くない。あぶらつこい食事と喫煙で、お金を出してくれるはずの人に次々に断られる苦痛をやわらげ、快感を得ようとしている。胸のあたりが少し重い程度だったのに、だんだんと胸の痛みは強くなり、息切れがするようになってきた。医者に診てもらうと、動脈が詰まっていることが分かった。どうしたらいいかと尋ねると、どのような生き方を選択するかにかかっていると言う。 Read the rest of this entry »

走っていると不幸な人間関係について考えることもなく、気分もはるかに良くなっている事がある。やめるとすぐに、悪くなった人間関係に思いがいって、その感情が戻ってくる。落ち込むためには、不幸な思いを抱き続ける必要がある。いくつかの理由のどれかが落ち込みを継続させる。このような思いを止めるためには、自分の求めているものを変えるか、自分の行動を変えるかのどちらかである。他に方法はない。ある人は妻に対する自分の行動を変えようとしたが、遅過ぎた。彼友は既に理想世界から彼を締め出していた。しかし、彼は助けを得て、自分の求めているものを変えることができた。彼は理想世界から妻を出して、別の女性を入れたのだ。こうして落ち込みをやめることができた。 Read the rest of this entry »

あなたは立派な理由があって落ち込んでいる。職を失い、尊厳を傷つけられた。あなたに問題はなかった。あなたは、自分の年齢と経験に見合う良い仕事は見つからないだろうと考え、もう一度拒否されることを恐れている。落ち込みは苦痛ではあるが、仕事を探して、何度も何度も拒否されるよりはましだ。ある人は職場の問題がなかった。別の女性を見つけるのも恐れはなかった。しかし、最初の二つの理由(怒りを抑えることと、助けて欲しい)は、精神科医の所にやって来たときには、しっかりと感じ取られた。特に最近ひどく落ち込んだことがあるなら、「確かにそのように言うとおりかもしれない。しかし、このみじめな気分を自分が選択しているなどとはとても思えない」と言われるかもしれない。落ち込みは自分の選択であるという主張を確かめるために、数時間程度、何か違った選択を無理にでもしてみればいい。 Read the rest of this entry »

彼はこのように考えた。自分の気分がどんなに思いかを告げれば精神科の先生も驚くだろう。もし精神科医が彼の期待どおりに驚いていたら、彼は問題の解決を私に依存して、さらに落ち込んでいたであろう。しかし、自発的セレクション理論を知っている精神科医を、みじめな感情を伴う落ち込みでコントロールすることは困難である。暖かい思いやりをもって接すれば、落ち込みにコントロールされずにいることは、クライエントに落ち込みよりも良い選択があることを理解してもらえる。私たちは落ち込むことで、したくないこと、または恐れていることを、しない言い訳としている。誰かが、その避けていることを実行するように言えば、たいていは同意して次のように言う。 Read the rest of this entry »

普通は社交的な人の自殺は考えられないが、時間が経つと、どんなことでも起こる可能性があるのです。落ち込みは、お願いをすることなく人に助けを求める方法である。恐らくこれは、援助を求める最も強力な情報提供であろう。その強力さゆえに、多くの人がその苦痛にもかかわらず、他の人をコントロールしようとして落ち込みを選択する。落ち込みは援助を求めることを正当化する。落ち込みなしに援助を求めれば、無能力で、自立していない人間ととられてしまう。そのように思われたくはない。多くの人にとって、無能力と出われることは大きな苦痛である。それでは力の欲求が満たされない。懇願しているかのように思われ、誇りを傷つける。普通では得られない助けを得るためには、私たちは落ち込みを選択することをいとわない。ある人に改善理論の要点を教えた後、彼は、家出した妻が電話をかけてくることを期待していたと話してくれた。 Read the rest of this entry »

落ち込むということは何も悪いことばかりではないのですね。ある人は落ち込んだから、離婚した妻に危害を加えたり、殺したりせずにすんだ。銃が簡単に手に入るアメリカでは、こんなことはよくあることである。また、落ち込みのおかげで、ある人はは自殺を免れたのかもしれない。自殺は、人生を二度と効果的にコントロールできないと感じたときに、人々が選択する行動でもある。ひどく落ち込んでいた人が、突然、何の理由もなく落ち込み状態から抜け出したとしたら、その人は自殺を決意したのかもしれない。その決意が、みじめな出いから抜け出す方法が見つかった、とうとう苦しみから抜け出す方法が見つかったという救いを与えるからである。精神科医は、長い間、落ち込んでいる人の気分が良くなったときにはいつも注意する。 Read the rest of this entry »

人は十代になるまでには、力の欲求は私たちを覆い尽くして、私たちの唯一の動機が生存し、愛を得ることであるなら、私たちがまずしようとは思わないものをさせることになります。力の欲求に駆られて、ほとんどすべての領域で序列をつくってしまったのです。社会的地位、地域、住居、衣服、成績、勝つ、美、人種、腕力、体、胸や上腕のサイズ、車、食料、家具、テレビの視聴率、その他、考えられるほとんどすべてが権力争いに引き込まれてしまった。相手を蹴落としてでも、這い上がるというのが社会のある人々にとっては生活の一部となっている。もちろん、多くの人が社会のために働くことで力の欲求を満たしている。私たちは、力を強く感じさせてくれるものや、他人の助けになるものを達成しようと努力している。 Read the rest of this entry »

勝ちたい。物事を治めたい。自分の方法でやりたい。他人に指示し、指示どおりにするのを見とどけたい。他人に何かをさせるときに自分が最善と思う方法でやらせたい。力を追求するなかで、たとえそれが結婚を犠牲にし、親子関係を破壊し、仕事の競争相手を破滅させることを意味していても、必要だと思うことは何でも躊躇なく実行する。多くの人にとって、この感情を求めることはほとんど飽くことがないですね。そういう力にとりつかれた人にとっては、殺人ですら受け入れられないことではないです。私たちが生きている外的コントロール社会では、力があることはしばしば現実を意味しているのです。しかし、この定義は他の人にとっては有害であるかもしれない。例えば、どんな学校にも生徒を落第させることは正しいと信じている教師がいます。 Read the rest of this entry »